茶臼山は大坂冬ノ陣(1614)の際に徳川家康の本陣があったところですが、もとは前方後円墳と考えられ、河底池は周濠の痕跡とみられていました。また、四天王寺の別名「荒陵(あらはか)寺」も茶臼山古墳に由来し、境内にある長持形石棺の蓋も茶臼山に納められていたものと推測されていました。
昭和61年(1986)に発掘調査が行われ、家康の本陣跡の建物や堀割が確認されましたが、従来いわれてきた全長200mの大前方後円墳という説には疑問符が付くことになりました。ただ、平安時代以前に築かれた盛土が古墳の築造時によく用いられた工法と類似するものであることが明らかにされ、古墳の可能性は残されています。
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教育庁 文化財保護課 文化財企画グループ
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