2.同和問題の概観
(1)実態調査と同和問題
同和対策審議会は調査部会を設け、昭和37年調査として昭和38年1月1日現在について同和地区(以下「地区」と称する。)に関する基礎調査を実施した。
これまで大正10年に内務省により「全国部落統計表」が作成され、昭和に入ってからは、10年には中央融和事業協会によって、33年(34年に補正)には、厚生省によって調査が実施された。なお34年に文部省によって学童数、学校数などの調査が行われた。しかし、これらは各々特定の目的に答えるためのものであり、地区の所在地、世帯数、人口、職業などの点において必ずしも総合的な結果を示していない。しかし、今回の調査の結果を通じて、
一 地区の内外において一般地区住民との混在が多くみられること。
二 都市の同和地区の場合は、これまでの地区が一般地区的な様相をもち、具体的にとらえることが困難になっていることがあげられる。そのために、今回は数府県が調査不能であった。これには地方行政機関の同和問題に対する認識のちがいも原因となっていることは否定できない。
これまでの調査と比較して数量的把握を困難とした理由は、都市およびその周辺地域では、
1 戦災疎開などによる地区住民の地域的分散が行われたこと。
2 区画整理等によって地区内での再配置があったこと。
3 一般の低所得階層密集地区(スラム)との地域的な混在が行われたことなどである。
つぎに、都市以外の地域では、
一 社会、経済等の変動にともなう人口移動の傾向によって地区住民の転住がみられること。ことに農村地区における離村傾向の増大が指摘される。
次に、
二 戦後の民主的な思想の普及などによって、一般地区住民との混在が幾分多くなったことなどである。
したがって、全国におよび同和地区の所在を的確に把握することはきわめて困難であり、集団地区以外にかなりの関係住民のいることも十分に認識しなければならない。同和問題が現在の時点において重要性をもつのは、数量的に、地区的にとらえられるような現象だけではない。日本の社会体制のあらゆる面で、根強く潜在している差別的な実態そのものが、問題なのである。
同和問題に関する本質の課題は、端的には「部落差別」そのものである。身分的差別意識が劣悪な生活環境のなかで、いぜんとして厳しく温存されている事実である。新憲法のもと国民の基本的人権が新しく意義づけられ、社会体制の民主化も一応進展しつつあるようにみえながら、同和地区につながる人々はこの部落差別のなかで生活しなければならないのである。それは審議会が基礎調査とともに実施した精密調査の結果によって知ることができる。同時に一見平等とみられる就職、就学、結婚等の社会体制のなかに、いぜんとして厚い差別の壁があり、一般国民のなかにも、地区や地区住民に対して、感情、態度、意識、思想等による偏見が残存していることも指摘しなければならない。
したがって、審議会が部落差別の事実として客観的にとらえなければならなかった焦点は、しばしば社会問題として提起される主観的な差別言動よりも、むしろ一般地区の生活状態および社会、経済的な一般水準と比較して、同和地区なるがゆえに解決されず取り残されている環境そのものにあったのである。
同和地区における人口、住宅の過密性、道路、上下水道、居住形式など物的環境の荒廃状況はきわめて顕著である。それらは、職業選択の制限されていること、通婚圏の狭いことと、無関係ではない。すなわち地区が封鎖的性格をもつことによって、生活は向上性を失い、やむをえず集団化によってその転落を防止するような自己防衛的な環境までつくられていることである。そこには「差別」が原因となって、「貧困」が同居している。同和地区がしばしば一般低所得地区と同一視されることがあるが、これは必ずしも正しい認識ではない。一般の低所得地区と異なるのは、部落差別が存在することによって、そこに居住しなければならないし、また住むことによって生活的活動に制限が加えられることである。さらに、地区によっては、行政の対象からも除外される現実があることである。すなわち調査によって得られた結論は、部落差別の実態が、生活条件の劣悪さを誘致し、環境の悪化を生んでいるという点である。部落差別の解消は、偏見をもたらす因襲や伝統を観念的にとりあげただけでは解決できない。それを存続させるのは、社会体制のなかにあるという認識に立たざるをえない。
(2)基礎調査による概況
審議会は都道府県を通じ、関係の市町村の協力を煩わして同和地区の現況の把握のための基礎調査を行なった。その結果によれば、全国の同和地区数は、4,160地区、地区内の世帯数は40万7,279世帯、地区内の総人口は186万9,748人、うち地区内の同和地区人口は111万3,043人であり、地区内の同和地区人口率は60%、全国の人口1,000人あたりの同和地区人口11.8人となる。
これをこれまでの調査結果と比較すると、地区数は昭和33年調査よりも多いが昭和10年調査および大正10年調査よりは少なく、同和地区人口は逆に昭和33年調査(34年調査による補正値)よりも少なく昭和10年調査よりも多い。すなわち、
| 同和地区数 | 同和地区人口 |
昭和37年調査 | 4,160 | 1,113,043 |
昭和33年調査 | 4,133 | 1,220,157 |
昭和10年調査 | 5,365 | 999,687 |
大正10年調査 | 4,853 | 829,773 |
すでにのべたように比較によって地区数ないし地区人口の増減を量的に判断することは適当ではない。調査にあたって採用された調査単位としての同和地区の定義がこれまでの調査と異なっているからである。すなわち審議会のとった定義は、「当該地方において一般に同和地区であると考えられているもの」とされているが、昭和33年調査においては「一般に同和対策を必要とすると考えられている地区」と定義されており、定義のうえからすれば、昭和33年調査のほうが「同和対策」の必要性を目的とした点で今回の調査よりもせまくならざるをえない。
次に、今回の調査は実施機関が公的機関であったために、行政上同和対策をとりあげているかどうかという背景の違いがあり得たのであり、したがって「寝た子を起こすな」的行政方針により、または一般と混在化し、同和地区としてはっきり認識できなくなったような地区は除外されていることもある。
これらを総合して考えると、今回の調査で把握された同和地区数、同和地区人口などは実際の数値を下回っているものと思われる。
事実、岩手、宮城、山形、東京、神奈川、宮崎の都県は今回の調査では報告がなかった。しかし別途の事情によれば同和地区の存在は確認されており、また今回調査で52地区の報告があった大阪、2地区の報告のあった福島についても同様のことが確認されている。
(イ) 都道府県別にみた状況
都道府県別の状況は、同和地区の数のうえからみると、広島県の414地区を最高に300地区を超える県には、このほか兵庫、岡山、愛媛、福岡の諸県があり、200から300地区の県は群馬、埼玉、長野、10地区以下の県は、富山、石川、福井、愛知、佐賀、長崎である。同和地区数の報告のなかったのは、北海道、福島県を除く東北各県、東京都、神奈川県、宮崎県の8都道府県であった。
同和地区の世帯数は大阪府、兵庫県がそれぞれ4万5000に達しており最も多く、地区内の総人口も世帯数とほぼ平行した分布を示しているが同和地区人口は兵庫県の16万3,546人が最も多く、福岡県の11万4,482人、岡山県の5万8,635人、奈良県の5万6,130人、三重県の4万8,238人、和歌山県の4万6,316人、愛媛県の4万4,685人、高知県の4万3,552人、埼玉県の4万1,496人がこれについでおり、同和地区人口1,000人以下は、富山、石川、長崎の諸県であった。
同和地区内の総入口に対する部落人口の割合、すなわち混住率は、全国平均では60%だが、府県によりかなりの差がある。 また全人口に対する部落人口は、人口1,000対11.8で奈良の72.1が最高で高知の52.3がこれについでいるが、滋賀、兵庫、和歌山、鳥取、徳島の諸県も40をこえている。
(ロ)地区別にみた状況
地区別の分布は、全国4,160地区の1/4をこえる1,059地区が中国地方にあり、関東の648、近畿の975、四国の553、九州の521、中部の363がこれにつぎ、北陸は39、東北は2となっている。 同和地区内の世帯数の分布をみると、全国40万7,279世帯の約37%にあたる15万69世帯が近畿にあり、地区数の多かった中国は5万7,764世帯で関東、中部、九州もそれぞれ5万から6万世帯の間にある。
同和地区人口は、全国111万3,043人のうちの約45%にあたる49万8,061人が近畿に集中しており、中国は15万をこえ、関東、四国、九州は10万から15万の間にあり、北陸は7,021人であった。
| 同和地区数 | 世帯数 | 同和地区人口 |
全 国 | 4,160 | 407,279 | 1,113,043 |
北海道 | − | − | − |
東 北 | 2 | 57 | 265 |
関 東 | 648 | 59,517 | 104,403 |
北 陸 | 39 | 3,630 | 7,021 |
中 部 | 363 | 52,213 | 58,439 |
近 畿 | 975 | 150,069 | 498,061 |
中 国 | 1,059 | 57,764 | 162,786 |
四 国 | 553 | 31,036 | 134,079 |
九 州 | 521 | 52,993 | 147,989 |
(注)東北の地区数2は福島の数であり、別途の情報によれば福島においてもさらに多くの地区があり、また、山形、宮城、岩手にあることが確認されている。
以上のように地区人口が近畿周辺に集中していることは封建社会体制にれい属して同和地区人口が居住しなければならなかったという根本の要因を示すものである。
(ハ)規模別にみた同和地区の分布
世帯数の規模による同和地区の分布は、20世帯未満の地区が28.8%で最も多く、20から39世帯は21.5%で500世帯以上の地区は2.7%にすぎない。すなわち、全国同和地区の約50%は世帯数40未満の地区であり、残りの約半数も40から99世帯の地区である。
(ニ)混住の状況
市町村の配置分合、都市化のすう勢、さらに大都市における同和地区のスラム化等により混住がみられることは一般的傾向といえよう。混住が進んで実態調査の対象外になったものもある。
全国平均でみると同和地区内総人口に対して同和住民の占める割合は60%であった。
府県別にみた同和地区人口率、すなわち同和地区内総人口により同和人口を除したものは、全国平均では60%だが、奈良、愛媛の両県は100%、90から99%が9府県、50から89%が11県、10から49%が14府県であった。一般的には、一・二の例外はあるにせよ、四国、近畿の地方における諸府県においては同和地区内において同和人口の占める割合が高く、関東、中部地方の諸県においてはこの割合が低いといえる。
同和地区人口率 | 府県数 | 府県名 |
10から19% | 4 | 石川、山梨、長野、島根 |
20から29 | 5 | 茨城、栃木、新潟、長崎、大分 |
30から39 | 3 | 群馬、千葉、静岡 |
40から49 | 2 | 埼玉、大阪 |
50から59 | 2 | 富山、福岡 |
60から69 | 2 | 岡山、山口 |
70から79 | 5 | 岐阜、広島、佐賀、熊本 |
80から89 | 2 | 高知、兵庫 |
90から99 | 9 | 福島、福井、三重、滋賀、京都、和歌山、鳥取、徳島、香川 |
100 | 2 | 奈良、愛媛 |
(注)同和地区人口率とは、同和地区内総人口で同和人口を除したものをいう。
(ホ)就業の状態
就業状態は、調査の困難性から日雇労働者、常用労働者、自営業者(家族従事者を含む)の割合を把握する方法によったものである。
日雇労働者は、地区有業者の10%未満の地区は全地区の28.2%であり、10から20%未満の地区は全地区の24.2%であって、全地区の過半は日雇労働者が20%未満の地区となる。また、地区有業者のうち50%以上が日雇労働者である地区も全地区の15.3%であった。
常用労働者についてみると、10%未満と10から19%の地区がそれぞれ25%を超えており、全地区の70.9%は常用労働者が30%未満の地区であり、常用労働者が50%を超える地区は9%にすぎない。
自営業者については、日雇、常用労働者とは様相を異にしており、50%を超える地区は、60.7%である。
同和地区が伝統的な部落産業ないしは零細農業に依存していることが推察される。
(ハ)生活保護法による保護の受給状況
全国同和地区40万7,279世帯のうち、生活保護法による保護を受けている世帯は29,063世帯であって、同和地区の百世帯当りの被保護世帯数は7.1となる。これを全国平均の3.2と比較するとその2倍を超えるというひらきがあり、同和地区の被保護世帯は一般よりかなり多い。
同和地区の百世帯当り被保護世帯数は、長崎の52.4を最高として、香川、福島、高知、福岡、徳島、佐賀の諸県ではいずれも、15.0を超えており、茨木、長野、千葉、埼玉の諸県では2.0を割っている。
各府県の百世帯当りの被保護世帯数と、同和地区のそれとはかなり相関的な関係にあり、各府県の平均が高い府県においては、同和地区においても高いという傾向がみられ、府県平均が全国平均の3.2より高く、同和地区平均が全国の同和地区平均の7.1より高い府県は11であり、一方府県平均が3.2より低く、かつ、同和地区平均が7.2より低い県は15である。
しかしながら、香川、福島、京都、岐阜、滋賀、広島、奈良、愛知の諸県のように、府県平均の百世帯当り被保護世帯数は、全国平均の3.2と同程度ないしは、それを下回っているにもかかわらず同和地区においては全国平均の7.1を上まわっている県もみられ、注目に値する。
(3)精密調査による地区の概況
審議会は同和対策の具体的資料として前述の基礎調査と合わせて、昭和37年7月以降全国から16ヶ所の地区を選び精密調査を行った。ただし、部落の多様性によってこれらの地区が必ずしも全国の平均水準を示すものでないことはいうまでもない。同和地区の形成が地区の全体的な後進性の原因としての差別と結果としての貧困によるものであるが、地域社会の多様性によって状態はいろいろな形でとらえられる。
(イ)立地条件
同和地区は、伝統的に、きわめて劣悪な地勢的条件にある。すなわち、河川沿い、河川敷地、沼沢地、傾斜地、荒野など都市農村を通じて一般の土地利用には、不適な土地に位置している。そのため、同和地区は、洪水や大雨の時は大きな被害を受けることが多い。
ただ、都市同和地区の場合は、一般的には市街地の拡大や交通の発達、産業規模の拡大等によって、または戦災等によってかなり変化した例(大阪市のごとき)もある。しかし、全国的にみると変化は少なく、伝統的な劣悪な環境のなかで問題がくりかえされているのが多い。
(ロ)人口の状態
一般的には、人口の離村向都の現象が目立ち、また都市地区では一般人口の混住がみられる。
同和地区人口は、女の方が多いが、男女だいたい同じ数の地区が大部分である。これは男に流出するものの多いことに原因すると考えられる。年令構成は15才から25才の層が比較的に少なく、いわば中くびれ現象を示して明らかに地区住民の生活機能が停滞せざるを得ない原因となっている。
同和地区の居住密度は、一般地区とくらべて、とくに過密であるとはいいえないが、都市的地区は住宅が密集し長屋、間貸家、間借などがみられ、スラム化しているところが多い。
経済の高度成長にともなって、一般農村は活発な離村向都の人口移動を示すが、部落も一般地区ほどではないにしてもかなり顕著な人口流出をみせている。ただし戦後の状況をみると、戦前戦中の流出人口が、疎開、離職、戦災、夫の死亡などの事情で帰郷した者が少なくない。この現象は、一般の地区にもみられるが、同和地区の場合は、差別と生活難のために帰郷を余儀なくされた者が多い。
第二次世界大戦前は、一般地区と同和地区とは、河川や田畑や道路や堀などにより区別されていたが、最近都市的同和地区の場合は、地区自体の膨張や住宅や工場地を求めての一般人口の来住によって、混在する傾向が強い。この傾向は地区の中心にまではいたらず、その周辺に多いこと、また町内会を同じくしても、両者の生活関係には多少とも緊張や距離がみられる場合が多い。
(ハ)家族と婚姻
家族の大きさは、農村的地区、都市的地区ともに一般地区のそれと比較して、とくに異なった傾向はなく、だいたい一世帯あたり4から5人というところであるが、ただ農村的地区とくらべるとやや多い。
婚姻関係は正常な形態を示すものが大部分で、離婚や死別したものは、とくに多いということはない。結婚の形態は、全体としては、見合婚が多いが、若い年齢層には、自由婚もかなりの率を占める。
結婚に際しての差別は、部落差別の最後の越え難い壁である。関係住民の結婚は、伝統的に「部落内婚」の封鎖的な形態をとり、ほとんどが同一地区民間か他地区住民との間で行なわれ、一般住民との通婚は、きわめて限られている。
(ニ)産業と職業
産業では農業や商工業の零細経営やその雇用労働者や単純労働者が多く、近代産業への雇用労働者は少ない。農村部落では、田畑の農耕が主体であるが、果樹園芸を兼営している地区もみられる。農業の経営規模は、きわめて零細でほとんどの地区は平均4反前後である。そのため、専業農家はきわめて少なく、大部分は兼業農家で、日雇労働、雇用労働、行商、出稼ぎ、わら加工などに従事している場合が多い。
都市的地区は従来何らかの伝統産業を営んでいたが、そのような地区や住民は次第に減少し、雇用労働や単純労働や商業、サービス業への転換が増大している。産業種別は、全般的には屠肉業、皮革業、製靴業、荒物業、履物業、行商や仲買業などが多い。
職業で注目されるのは、全体として零細企業経営者やその従業者がきわめて多く不安定であること、親と子女の間では、大きなちがいがみられることである。親や伝統的な産業ないし職業や単純労働などへの従事者が多いが、子女はそうした職業より、時代的雇用労働を希望するものがみられるが、これとともに近代的な大企業への就職はきわめて少ない。
このような事情は一見すると知識や技能や教育程度の低さによるとみられるが、基本的には社会的差別と偏見によってよい就職ができないのが原因である。
また子女の雇用労働が多くなったのは、子女が伝統産業や単純労働を嫌うためであるが、根本は経済成長にともなう労働力の絶対的不足が大きな原因であり、そのなかで低い賃金のなかに置かれているということである。
(ホ)教育状況
教育の状況は、学校教育における児童生徒の学業の不振と社会教育のおくれ、同和教育の不振等が目立っている。
学校教育における児童生徒の成績は、小学校、中学校のいずれの場合も、全般的にかなり悪く、全体的にみると上に属するものもいるが、大部分は中以下である。
中学生徒の進路状況は都市的地区、農村的地区ともに就職者が大部分であって、進学者は少なく、進学率は一般地区の半分で、30%前後である。進学率の劣るのは、家庭の貧困か本人の学力不振によるものが多い。しかし、親の教育関心は、きわめて高く80%前後の者は子女の進学を希望しているのは注目される。
社会教育活動は、地区によっては隣保館ないし集会所(公民館)を拠点として、かなり活発になされているところがあるが、全般的には、低調である。その理由は、施設や設備の不備、職員(とくに指導者)や予算の不足、職務の多忙などであるが、なかでも指導者の不足が問題となっている。
社会教育団体活動は、青年団は少なく、婦人会と子供会を中心にされているが、その主な内容は、婦人会活動の場合は、生活技術や一般的教養に関する講習会、講演会、見学会などであり、子供会の場合は見学会、レクリェーション、補習学級などである。なお青年団活動の少ないのは、その年齢層の人に流出が多いのを裏書している。
同和教育は、実際には学校教育と社会教育の場でなされるが、現状は低調さを免れない。これは一つには、同和教育の基本方針の不徹底のためであるが、二つには、現場の教員や指導者の知識や訓練の不足のためとみられる。
住民の教育水準は、親の層も子どもの層もかなり向上したが、しかし一般地区と比べると、まだかなり劣っている。たとえば昔なら親の教育水準は、小卒や高小卒がほとんどで、旧中卒はきわめてまれであったが、こんにちでは、旧中卒も15%前後があるし、子どもにいたっては、高校卒以上が30%前後はある。しかし、これは一般地区の場合、親の層が30%から40%子供の層が60から70%であるのに比べると半分以下である。
(ヘ)生活環境
同和地区がしばしば低所得層密集地区(スラム)と同一視されるのは外見的生活条件がきわめて劣っているからである。道路および下排水路は一般に未整備で、保健衛生や火災防止上危険などの点からも改善の余地が十分にある。また路上の街灯設置についても、整備された地区はきわめて少ない。
上水道設備の普及は、いぜんとして共同利用、あるいは井戸の利用という状態がみられる。都市的地区でさえも現在、井戸利用がまだ少なくない。し尿と塵芥の処理施設は、都市的地区の場合、次第に整備され、一般市街地なみになっているが、農漁村の場合不完全なものが多く、ことに塵芥の放置、あるいは、その不完全な処理が地区内でなされることが多い。
住宅状況は、改良住宅の増設による整備がかなり進行している地区が見られるが、不良の木造過密住宅のままに取残されている場合が多い。住宅形式は多くは木造平家の独立家屋または長屋である。都市的地区の中には、道路建設予定地その他に不法占拠もみられ、また、都市、農村的地区を通じて仮小屋住宅もある。 住宅設備のうち、共同浴場をもつ地区はかなりあるが、台所、便所は十分ではない。ことに共同便所の利用がまだ多くの地区にみられ、また非衛生的な汲取式便所の改善はほど遠い。光熱設備は都市の場合、都市ガス利用の世帯が多少ともみられるが、農村をふくめて、その普及率はきわめて低く、石油コンロや薪炭の利用が多い。
(ト)生活水準
同和地区住民の所得水準は一般的に低く、またその向上は先にみた地区産業、職業構成の特徴からも明らかなようにかなり困難な状況にある。同和地区人口の多くは単純労働、不定期労働に従事し、月収額は少なく、しかも一定しない場合が多い。月収は都市農村地区ともに、家庭的就労による場合が多い。すなわち収入は世帯主のみに依存することが少なく、配偶者あるいは同居家族員の個別的就労による複合的収入形態の場合が多い。
支出については、収入額ないしはそれを超える場合が多くみられる。しかも限られた収入を無計画に支出するという傾向がみられる。エンゲル系数がきわめて高いのも一つの特徴である。
収入形態については家族員の勤労収入ないしは一部に単独の自営による世帯が多いが、2人以上の家族員の勤労収入あるいは勤労収入と事業収入の総合もかなりみられる。また財産収入、福祉年金、失業保険、扶養仕送りなどによる世帯も僅かながらにみられる。
耐久消費財の普及率は、全般的にみて低い。ことに、ミシン、電気洗濯機、テレビは全国平均より低い。新聞雑誌の購読率は、ともにかなり低い場合が多く、こと雑誌については、定期購読をするものはほとんどない。それらの普及率は、同和地区住民の所得水準に対応してみられ、低所得階層については経済水準と同様に、文化水準の低劣さがみとめられる。
(チ)生活福祉
地区における経済、文化水準の低さは、住民の貧困、疾病などの社会問題をもたらすほか、非行、犯罪、不就学、長欠などの病理現象を発生させる原因となる。
地区全般を通じて、各種公的扶助の受給世帯の割合が多いことも無視できない。
他方各種社会保険への加入率は、全般的に低く、健康保険、共済組合、国民健康保険などへの加入率は、一般地区と比較してかなり下まわっている。また隣組などのいわゆる私的扶助への依存は、以前と比べてかなり減少しつつある。
農村地区の場合は、被保護世帯の割合が少ない。しかしその結果地区の生活程度が高いとはいえない。生活福祉に関する同和地区住民の積極的な働きかけは、きわめて部分的、一時的である。たとえば、地区内の青年団、婦人会、老人クラブ、子供会その他の地域団体への積極的な関心と参加は消極的である。そうした地域団体は、地区住民の積極的な参加をうながし十分なかつ関心をそそる機能をもたない。また地区内における福祉活動の専門的従事者による適切な指導もない場合が多い。
(リ)同和問題意識
「差別」に関する人権意識に関しては、一般地区において、同和問題の認識の不足が強く指摘される。しかも、一般地区住民の間にかなりの誤解や偏見が残されており、性、年齢階層、あるいは地方によっては、まだ強い「差別感情」が残存している。一般の人々には、「結婚、就職に際して、今日、憲法に保障された基本的人権がすでに保障されている」とするもの、つまり「部落の有無に拘わらず人権の侵害はない」とするが、同和地区住民の場合は結婚、就職に際して、すでに直接的な差別経験をもったことにより、「人権は守られていない」と主張するものがある。
一般地区住民の同和地区および同和地区に対する直接的な感情、態度をみると、都市、農漁村地区に共通してみられる問題は、地区住民との交際が形式的に求められるとしても、本質的には一般地区住民の側からの交際は消極的であり、むしろそれをさけるという傾向があること。同和問題に関する正しい認識や知識をもたず、また問題解決に対しての積極的な熟慮がうかがわれないこと。地区によっては、地区住民の粗暴さ、態度、服装、教育程度、教養、貧困などの点に問題を認め、明らかに直接的差別の言動を示す場合もあることが認められた。
地区住民の多くの経験する差別言動は「就職、職業上のつきあい」「結婚に際して」「近所づきあい」「学校を通じてのつきあい」などである。そのうち就職、結婚に際しての差別経験者がことに多く、しかも、性別、年齢別にかかわりなく何らかの直接的な差別を経験している。また、地区周辺の一般住民の間には、たとえ直接的な差別言動の表示がなくなっても、なお「差別は残る」というもの、あるいは「差別はどのような社会施策を通じても解決されない」と考える者もみられた。